2014.11.20
ネギ売り親子の悪夢
そう、あれは9月上旬の土曜日の事でした。
田んぼの除草の疲れを癒やしに近所の温泉にでも行こうかと思いたちましてね、一人で行くのもなんなんで、3才になる息子と一緒に行ったんです。
温泉は家から車で10分かからないくらいのとこにありましてね、すぐに到着しました。
駐車場に止めて子どもを車からおろして荷物を取り、温泉のある建物まではしばし歩きます。
そうしますと・・・・子どもがなんか一人でブツブツ言いながらピョンピョン飛び跳ねてるんですよ。
よく聞きますと「ナガネギマン参上!」とか「ハッハッハ、さらばだ!」とか言ってるんです。
・・・ははぁ、これはナガネギマンだ、私はそう感づきました。
ナガネギマンと言いますのは人気アニメ「アンパンマン」に出てくるキャラクターでして、その名の通りナガネギをモチーフにしたキャラです。
アンパンマンがピンチになるとどこからともなく現れる正義の剣士、それが「ナガネギマン」です。
このナガネギマン、登場シーンで必ず「ハッハッハ・・・ハッハッハ・・・正義の剣士、ナガネギマン参上!」」と言いながら参上し、帰り際には「さらばだネギ!・・・ハッハッハ・・・ハッハッハ・・・・」と、これまた笑いながら帰っていくというお約束のセリフがあるのです。
この強くてカッコいいナガネギマンですが、実はその正体は冴えないネギ売りのおじさんである「ネギーおじさん」。
いつも「おいしいネギはいらんかね〜!」と言いながら自分で作ったネギを売り歩いております。
このホンワカパッパなネギ売りおじさんがマスク・オブ・ゾロみたいな正義の剣士に変身するんですから、そのギャップが子どもにはたまらないのでしょう、息子はこのナガネギマンがアンパンマンの中では大変なお気に入りキャラなんですよね。
そんなこんなで息子は車から降り、建物まで歩き、さらに建物に入って脱衣所に行くまでの間、ずっとナガネギマンの真似をして「そこまでだバイキンマン!」とか「正義は必ず勝つネギ」とか言いながら飛んだり跳ねたりしておりました。
脱衣所に入りますと、中はかなり混雑しておりました。
土曜日でしたので地元だけじゃなく県外からのお客さんも多いようです。
空いているロッカーを見つけて荷物を入れたら先に子どもの服を脱がせまして、今度は私が服を脱ぐ番です。
子どもが勝手に先にお風呂の方に行って足でも滑らせたら大変なので「一人でお風呂のほう行っちゃダメだぞ」と注意しつつ服を脱いでおりました。
それは上着を脱いで次は下を脱ごうと履いていた短パンに手を掛けた時のことでした。
背後から「おいしいネギは〜いらんかね〜!」と、どこかで聞いたことあるセリフが、どこかで聞いたことのある声で聞こえてきたんです。
振り返ると、うちの息子がニコニコ顔をしながら
「おいしいネギは〜いらんかね〜!!」
と脱衣所中に聞こえる大声で叫んでいるのです。
これはマズい。
私はそう直感しました。
もちろん息子は件のネギーおじさんのセリフを真似ているだけなんですが、ネギーおじさんなど知る由もない脱衣所内の客から見れば、どう見ても子どもが親が普段しゃべっている言葉を真似して楽しんでいるように見えます。
運の悪いことに、8月を丸々一ヶ月田んぼの除草に費やした私の肌の色はどうひいき目に見ても農家のそれであり、元々の地黒質の肌と相成ってそれはそれは見事なまでの真っ黒肌となっておりました。
そんな出で立ちで佇む半裸の私のそばで聞こえる、我が子によるネギ売りの口上。
これでは傍からみれば完全に私はネギ農家です。
それだけではありません。
息子のセリフは「おいしいネギは〜いらんかね〜!」であります。
セリフ通りに解釈すれば、この子の親、つまり私はネギを作っているだけではなく、ネギを自ら売りさばく、つまり「ネギの行商」を行っているわけです。
しかもネギ売りのセリフを叫んでいる息子も私の血をしっかり引いており、完全に地黒。
夏に外で遊んだことによる日焼けも加わって私並みに真っ黒です。
そんな色黒の息子が「おいしいネギは〜いらんかね〜!」と叫んでいるのですから、これはどう見ても普段から息子が父のネギ売りを手伝っているようにしか見えないのです。
これはいけない、とそんな息子の所業を止めようと思った矢先、息子はシュンとしょげたように下を俯き、「はぁ〜、今日も売れないネギ…」と、さらに突っ込んだ真似をし始めました。
脱衣所内の客が息子を見張り、そして私のほうを向き「まさか」という目で見つめてきました。
「まさかネギ農家であろうこの男性は、普段、語尾に“ネギ”とつけて喋っているのか……!?」
誤解がさらなる誤解を生む。
脱衣所はネギによる誤解のスパイラルに陥りました。
ふと隣りを見ると、腰にタオルを一枚まいた白髪の老人が、微笑ましい、けれど少し憐れんでいるような瞳で我々親子を見つめておりました。
この老人の脳内には、真夏の太陽が照りつける暑い中、収穫したばかりのネギをたんまり載せたリヤカーを引きながら「おいしいネギは〜いらんかね〜!」と叫ぶ我々親子の姿が映っていたに違いありません。
よく見るとその老人の目にはうっすらと涙のようなものすら見えます。
きっと脳内で
「父ちゃん、今日も父ちゃんのネギ売れなかったね」
「そうだね。でも明日はきっと売れるネギ」
「うん。……母ちゃん、早く帰ってくるといいね」
「……そうだね。ようし!今日の夜飯は元気つけるためにネギ鍋だネギ!」
「ええ〜〜!昨日も、その前もネギ鍋だったじゃん!」
「そういえばそうだネギ(笑)」
「もう父ちゃんったら〜!」
という架空のネギ売り親子物語が全三部作くらいで展開されていたのでしょう。
私は老人に
「違うんです。確かに私は農家は農家ですけど米農家なんです。でも語尾に“コメ”とかはつけません。しかも作ったお米はインターネットで売っているんです。あと、母親は家にいます」
と言いたかったのですが、必死に申開きしたところで
「いいんだよ、分かってる、分かってるから。ぼうや、お父さんのネギを買いたいんだが、一本いくらだい?」
と返されそうなので、私は仕方なく相変わらずネギ売りのセリフを叫び続ける我が子を抱きかかえ、逃げるように浴場へ走り去ったのでした。