2016.4.23
地震
半年ぶりのブログです。
先日の地震にはさすがに驚きました。
4月14日に起きた一回目の地震については全く被害はなく、15日も普通にトラクターで田んぼを起こしておりました。
丸一日トラクターに乗っていたせいで疲れたせいか、さっさと9時すぎには寝てしまいました。
そして日付が変わって16日の午前1時25分。
最初はなんか揺れだしたな〜、また余震かな〜、なんて余裕ぶってたら、それがもうユッサユッサととんでもなく揺れ始めました。
こりゃ隣で寝ている長男がびっくりして起きて泣き始めるな、と思って確認すると、意外に長男はグッスリ。次に隣の部屋で寝ている妻と二男の様子を見に行くと、二男は抱っこされて泣いておりました。
そうこうするうちに揺れも収まったんですが、数分おきに余震がきて家がミシミシ言ってるので、これは家の中にいるのは危険だと判断し、車の中で寝ることにしました。
それからは電気は停電し、水は断水し、スーパーもコンビニもガソリンスタンドも閉まり、余震に怯えながら車の中で寝る生活を送っておりましたが、4月20日に電気が復旧し、ガソリンスタンドも開いて燃料が手に入るようになったため、少しずつながらも、ようやく普通の生活に戻ることができるようになりました。
4月20日と21日に遅れていた商品の発送を行いまして、22日に大きな被害を受けている南阿蘇村に行ってきました。
南阿蘇村内でも地区によって被害の差は大きく異なり、当店の生産者が最も多く在住している河陽の喜多地区はそれほど被害は大きくないのですが、古澤さんや増田さんが住む沢津野地区や乙ヶ瀬、黒川地区などは多くの家屋が倒壊するなど甚大な被害を受けておりました。
まずは増田さん宅に言ってみると・・・
柱というか、家全体が完全に傾いており
自宅裏は断層で亀裂が入り土砂崩れが起きておりました。
検査員の方々一通りが点検した後、家の玄関に「危険」の紙を貼っていきました。
これは少しの余震で倒壊の危険性があるため屋内への立ち入りは禁止となる処置であり、つまり増田さんはこの家に住めないことになります。
いつもは元気な増田さん夫妻もこの事態と避難所での生活に「さすがに参ってます」と意気消沈のご様子ですが、それでも「お米はなんとか作りたいと思ってます」と言ってくださいました。
同じ沢津野地区、増田さん宅から数百mのところにある古澤昭夫さん宅は全壊しておりました。
トラクターやコンバインなども下敷きになったことに加え、水路が壊れ地区全体の農業用水がこなくなっていることで今季の作付けはできるかどうか分かりません。
それでも「とりあえず苗さえ作っておけばいざという時なんとかなる」ということで、南阿蘇村の生産者の共同作業で被害にあった生産者の分の育苗も行う手筈となっております。
これからどうなるかはわかりませんが、当店としましては生産者のサポートに全力を注いで参りたいと思います。