生産者
赤城誓一
品種
亀の尾、亀の尾4号、旭
生産地
熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽
農薬の使用
使用なし
肥料の使用
使用なし
農薬不使用の年数
亀の尾・・・6年目
亀の尾4号・・・2-4年目
旭・・・12-18年目
肥料不使用の年数
亀の尾・・・6年目
亀の尾4号・・・2-4年目
旭・・・12-18年目
「亀の尾」とは明治時代に篤農家・阿部亀治氏によって育成された稲の良品種であり、コシヒカリやササニシキといった近代の品種は概ねこの「亀の尾」を先祖に持ち、その優れた食味を継承しております。つまり現代の美味しい日本のお米の母のような品種なのです。
この素晴らしい「亀の尾」ですが、倒伏(倒れやすさ)や脱粒性(刈り取り時に籾が落ちやすい)や収穫量の少なさなどの影響で、現在ではほどんと栽培されておりませんが、赤城さんは高島和子さんから種を受け継ぎ、この”美味しいが作りにくい”という亀の尾を農薬・肥料を使用せずに栽培しております。
お米の品種は毎年種取りしていると交配や環境、気候の影響で品種の特性がだんだん薄れてくるのですが、この「亀の尾4号」は阿部亀治氏が発見した「原種の亀の尾(つまり亀の尾1号)」により近い品種となります。普通の亀の尾とは稲の姿もかなり異なっているそうで、食べ比べると味にも違いがあるのかもしれません。
旭は1908年に発見された品種で、粒が大きく、食味が非常に優れていたことから、1930年半ばには西日本で最も栽培される品種となりました。1920年代に東北・北陸地方で盛んに栽培された亀の尾とともに「東の亀の尾、西の旭」と呼ばれ、その後のササニシキやコシヒカリといった名品種の祖となりました。
現在はその脱粒性(収穫前に籾が落ちやすい)や、収穫量の多い品種が開発されたことから、全国でも栽培されるのはごくわずかとなっております。
赤城誓一さんは2019年まで熊本県上益城郡山都町で米作りを行っておりましたが、2020年より南阿蘇村へ移住し、新天地にて再び米作りを行うこととなりました。
移住後、高島和子さんの元で研修を行った赤城さんは2021年より高島和子さんや故・北野鉄矢さんが長年無農薬栽培を行ってきた田んぼを借り受け、引き続き無農薬栽培による米作りに励んでおります。
2022年5月14日、田植えを行いました。
本日田植えを行うこの田んぼは々大森博さんが3年、高島和子さんが1年、、そして赤城さんが2年目、ということで自然栽培歴6年目の田んぼとなります。
苗がとても伸びやすい亀の尾だけあって、草丈20cm近くにもなっております。これなら田植え後の活着も良く、水も深めに溜めても大丈夫そうです。
この田んぼの田植えも2回目ということでだいぶ勝手が分かってきたとのことで、なるほど、縦100mの田んぼを比較的まっすぐに植えていらっしゃいます。これなら除草機で隣の列の苗を踏むこともなさそうです。
2022年10月12日、「旭」の稲刈りを行いました。
旭の田んぼは2枚ありますが、1枚は北野鉄矢さんが米作りを行っていた田んぼで、2019年に鉄矢さんが亡くなった後に赤城さんが借り受けました。そのすぐ隣にある2枚目は高島和子さんが長年米作りを行ってきた田んぼ。いずれも10年以上に渡り農薬・肥料を使用しない自然栽培による米作りを行ってきた田んぼですが、そんな田んぼで米作りをすることができるのは南阿蘇へ移住してきたばかりで田んぼを探していた赤城さんにも、後継者不足に悩む自然栽培農家にも、どちらにも幸運でした。
まずは棚田の上の段に位置する田んぼを刈り取ります。この田んぼは北野鉄矢が作っていた頃から水口あたりがぬかるんでおり、コンバインが深く沈まないように前後バックしながら刈り取ります。
超がつくほどの完璧主義の農家だった北野鉄矢さんでしたが、その鉄矢さんに負けず劣らず、赤城さんが作る田んぼも雑草一本ない素晴らしい出来栄えになっております。籾運びを手伝っている高島さんも「こんなに立派に作って鉄矢さんも喜びよるばい」と関心しきりです。
お次は隣に移動して、再び旭の稲刈り。この田んぼも高島さんが作っていた頃から水口がぬかるんでいるため、その付近の稲は手刈りして天日干しして、来年の種籾として使用するそうです。